無常、無我、涅槃

ここのところ、友達と「主観と客観」について議論を進めています。

「はたしてこの世界に客観はあるか?」というのがこの議論のポイントです。
この議論では「客観」という言葉を使っていますが、つまりは「絶対○○」というもの(こと)があるのかないのか、という内容です。

そしてこれは、最近の私の興味のポイント「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とリンクしていて、興味深く議論を進めてきました。

先ほど、議論としてはかなり佳境に入ってきた感じで、それを元にいま、考えたことをシェアしたいと思います。
前置きが長くなってしまいました。

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物事は文字通り一瞬一瞬、そして空間としても細部に至るまで変化し続けています。
空間全部で常にあらゆることが起こり続けているとも言えます。(諸行無常)

そうした中で、「平和」「悪」「右」「DNA」「山」「本能」「上昇」「笑う」「悲しい」「昨日」「この瞬間」など、全体(時間、空間)の中の部分を限定的に切り取る時に主観が入ります。
主観、概念、観念によって、全体の中から限定して取り出す、という方が正確かもしれません。(本来切り取れないことが諸法無我)

私たちは観念、概念、主観で自分と世界とを捉えていますから、何物も、何事も、切り取らず(観念、概念、主観で見ず考えず感じず)「ありのまま」に捉えられるようになると、魂は全てから解放され、時間と空間に束縛されない本当に本当の安らぎが訪れるということなのでしょう。(涅槃寂静)

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カテゴリー: 空と音と時の話