私たちは渾然一体となった宇宙の一部

言うまでもありませんが私たちは、意識するしないに関わらず物事に対して実に様々な区別をしています。
自分と他人はもちろんのこと、人と人、人と物、物と物、物と出来事、出来事と出来事、あらゆるものを別々に、こと細かく区別して見ています。

それはつまり、私たちはあらゆるものをバラバラに区分けして(分断して)見ているということでもあります。
私たちのこの世界が、これほどまでに分断されているように感じるのは、そのためなのかもしれません。

しかし物事を注意深く観察すれば、あるいは物理学の分野でも、どんな物も厳密には区別できないことが分かります。
ミクロな視点で見た場合、物の表面は分子や原子が内側と外側の間を絶えず出入りしていて、境界線を決めるのは不可能なようです。
もっと小さな「素粒子」と呼ばれるレベルでは、物自体が「波」の性質があるため、物は文字通り空間全体に(強いて言えば、宇宙の果てまで)広がっているのです。

「私」と「あなた」、「山」と「谷」、「太陽系」と「銀河系」というように、言葉によって私たちはあらゆるものを区別していますが、本当は別々に分かれているのではなく、みんな繋がって一つの(私たちの)宇宙を形作っている、というのが正確なところでしょうか。
地球が国という区切り(言葉)で分断されていると感じていても、地球の外から見ればどこにも国境など存在していなくて、ただ一つの「地球」として見えるように。

あるいは、「もらい泣き」などは自分と相手との区別がついていない状態と言えます。
もらい泣きしている時には、自分が悲しいのか相手が悲しいのかがよく分からなくなることがあります。
程度の差こそあれ、同じように自分と人とが共鳴して区別がつかなくなることは、日常でも普通に起こっています。

また、20世紀後半の科学であるカオス理論では、どんな些細な事柄でも全体に大きく関わっていることを説明する「バタフライ効果」という有名な言葉があります。
その意味としては、『どこかで1匹の蝶が羽ばたいたことが、その翌月には地球の裏側で嵐を引き起こす』というものです。
これは、地理的(空間的)にも時間的にも大きく離れていて、一見無関係で別々に区別されているような出来事で、 しかも取るに足らないような些細なことも、実際には深く関係し合っていることを現す好例と言えます。

私たちは、あらゆるものが境目なく融合しながら、あるいは見えない網の目のように関係しあいながら、密接に繋がっている世界に住んでいと言えます。
別の言い方をすれば私たちは、その繋がりによって区別のできない「渾然一体となったこの宇宙の一部」なのです。

日々の生活の中で世界が分断されているように感じ始めたら、時々はこの感覚を思い出したいものです。

*瞑想方法『「世界/宇宙とつながる」瞑想』はこちらです

カテゴリー: 空と音と時の話