未来を思い出す

『未来を思い出す』
車いすの物理学者として有名なホーキング博士の著書で見かけたことがあり、私の大好きな言葉の一つです。
以前彼の本で読んだのですが、どういう文脈でこの言葉が出てきたのかは、はっきり覚えていません。最初にこの言葉に出会ったときは、(過去ではなく)未来を「思い出す」という発想に大変驚きました。そして、私たちが「なぜ未来を思い出せないのか」を深く考えるようになりました。

考えれば考えるほど、過去と未来を区別する意味合いや、具体的な違いが曖昧になってきます。
過去も未来も「今、この瞬間」から見れば存在もしていないし、単なるイメージとも単なる想像とも言えます。
「過去」といわれるイメージの中には、「経験」という確かな(ように見える)実感があり、「未来」と呼ぶイメージの中には、「予感」という不確かな(ように見える)実感があります。この、同じような実感である「経験」と「予感」には、どうしてこうも確かさが違うのでしょうか。本当にはっきりとした確かさの違いがあるのでしょうか。

そうすると、だんだん区別することの無意味さみたいなものが感じられてきます。だんだん「本当は過去と未来に、区別なんて存在しないのではないだろうか。」と思えてきます。

そしてその先に、時間を超えた感覚が待っているような気がしてならないのです。